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われわれの次元での理解と彼の次元での理解には、かなり大きなズレがあるようである。
一般にわれわれが考えている「道徳」とは、何だろうか。
人に対する思いやり?一般の人が正しいと考えていること?
意見はさまざまあるはずだ。
「道徳」とは、徳の道と書いて道徳だ。徳の道を行く、つまり「自分が今まで経験して悟った一番よいと思われる方法や考え方を、忠実に守って生きていくための目標設定」というのが彼の次元での道徳の理解なのだそうだ。ということは、道徳の定義は人によって異なるということになる。
それでは、「罪」とは何だろうか。
通常一般的にわれわれが考えるには、人を苦しめたり、嫌がらせをしたり、また社会のルールに違反することを「罪」と呼んでいるのではないかと思う。
もちろん人を苦しめることは罪である。しかし彼の次元では、人がつくった法律に違反することやは必ずしも罪とはならないという。
人を苦しめたり、嫌がらせをしたりといったことをまとめて定義すると、罪とは「霊的真理に則っていない行動をとること」だそうだ。
霊的真理というと何のことかわからなくなってしまうが、わかりやすく言えば、他人のためを思って奉仕する行為や、自分の精神的向上につながる行為、すべての生命エネルギーの源である愛(霊)を意味する言葉である。
すなわち、われわれ人間は、生命を維持するためのエネルギーを霊界と言われる次元から得ているわけだが、そのエネルギーを得にくくするような行為、自然界(宇宙)の摂理に反する行為というのが、「罪」ということになる。
「親切」の理解もわれわれの次元とは理解に開きがあるようだ。
よく皆さんは、「今日親切を行った」といって、満足感を得られたことに喜びを感じた経験があるのではないかと思う。しかし、彼の次元から観ると、自分の行いたい親切をすることは、本当の親切ではないという。
厳しいようだが、自分の行いたい親切は、単に「自己満足」でしかない。もちろん、親切にしないよりはましだが、本当の親切とは、「他人がして欲しいと思うことを察して、その人のためになると信じて行う行為」であるそうだ。
よく、親切が反って仇になった、というような話を聞くが、自分の行っている行為が本当の意味での親切かどうか、自己満足や自己実現のためだけのものではないかどうか、よくよく省みてみる必要があると思われる。
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