Yoyumeからのメッセージ   20130131日 

場所: AWHにて

参加者: シャマナ、アナハラセ、トコロ


ヨユメ: 皆様、ごきげんよう。

皆さん: ごきげんよう。

ヨユメ: パケサーが皆様に「あんたたちお導きを受けなくていいのかい?」とうるさく言って、私にまで「お導きをしてやってください」、「お導きをするように」と、うるさく言っておりましたのですがね、 シャマナの体がね、いかがなものかと。 今日ものどの調子が良くないですし、声がかすれていますよね。 それでどこまでもつかということもございますので、要領よく、手短にやってまいりましょう。 


パケサーと共にね、皆様のお話を伺っておりましたの。 わざわざお聞きするまでもなくね、ご質問は分かっております。 しかしそのご質問に移る前に私から質問をさせてくださいな。 もともと私が皆様のお導きに降りてきた理由というのは全く初歩ですが、何のために私はこのシャマナを使って降りてくるようになったか、憶えておられますか? 

アナハラセ: はい。

ヨユメ: お答えください。

アナハラセ: 愛を教えていただくためです。

ヨユメ: それは後日、皆様が理解されたことですね。 一番最初に私は何のために皆様がこうして集い、そのためのお導きをするために私が降りてくると申しましたか? 

アナハラセ: 49名の仲間の使命成就のために。

ヨユメ: はい。 その使命成就、こういう交霊会における高次元の先生方のお導きにも色々な形がございましてね、私のが良い悪いに関わらず、こういう形で行われるというのはある意味で特殊なのでございますよ、私と、皆様の前世の縁というものがね。 そういうことで49名、皆様がそれぞれにお約束されてここに降りてこられた。 しかしながら皆様がそれぞれ、それに気付いて集われて、ご自身でそれを成就されるにはあまりにも時間がかかり過ぎる。 皆様の生涯に起こり得ないかもしれないと思ってお助けにきたのですね。そのときに皆様の使命成就は何でしたか?

アナハラセ、トコロ:真理の普及

ヨユメ: さようでございます。 その真理という、真理の普及でございますね。 そのために皆様のご指導のために私が先生方の仲介をして色々なことをお導きをしてきたわけでございます。 その真理の普及、そして真理とは? 段々段々学んで最後に行き着くものは愛であると。 それは今、皆様が到達された結論ですが、そこにくるまでにまだまだ時間がかかりましたよね。 そこで真理の普及が皆様の使命である、として、ここ−このAWHというのは私は言いにくいのでアカデミーと呼ばせていただきます−アカデミーを設立して、この場にというのは、ここを設立して、ここでヒーリングをするということが目的ではないのです。 真理の普及の場として、そして皆様の生活をお守りする場でもなければいけないと、こちら側で用意し、でもここが究極の使命成就の、真理の普及の目的でないはずですね。 そこを間違われないようにしてくださいね。 はい、それではそこをお分かりになりましたなら宿題もね、宿題をお出ししていて、さっきもお互いに話し合っておられましたね。 

皆さん: はい。

ヨユメ: これに対する答えも出てくるのですよ。 そしてトコロは本当に全部私が皆さんをお導きしてきた内容をまた改めて読んで、そして色々考えて、ほぼ宿題の答えは出たのではないですか、トコロ?

トコロ: はい。

ヨユメ: 貴方の宿題の答え、言ってみてください。 そしてトコロ、今に限らずこれからですが、ましてこのお仲間だけです、私−ずっと皆様と共に来た私−そして霊界の先生方の前では恥も何もないのです。 思ったことを勇気をだしていつもお話くださいね。

トコロ: はい。 

ヨユメ: これからはそれがもっともっと大切になります。 それではトコロが感じるその飛躍とはなんだったのでしょうか?

トコロ: はい。

ヨユメ: 今、何方かが来ていて(部屋の隅の方を向かれる)、ちょっと、しばらくお待ちください。 あの隅に、あちらに隠れたのですがね、特に邪悪で邪魔をするというわけではないのですが、縋ってきているんでしょうかね。 シャマナになにか、(部屋の隅の方に向かって手で祓うようなしぐさをしばらくされる)

どうぞ、トコロ。

トコロ: しばらく私たちはこの地に来て、このアカデミーを維持する、そこに割く時間がとても多くて、真理の普及というものを意識を持ちながらもなかなか実行できませんでした。 それを本を出版するとか、はたまたこの地域社会に何とか工面できるお金で皆様をお助けできるほどまでになり、そしてこれからはこの時代が変わってきて、三次元世界では大事だったものがそうではなくなった、で、皆様はそれに気がつかないでいるととても不幸になるのでそれをわたしたちがなんとかこれからそういったことを広めて、皆様により幸せになっていただこうと、そういうことで動き始めることがとても大きな飛躍だったと思います。 

ヨユメ: アナハラセはいかがお考えですか?

アナハラセ: その話を聞きますと、真理の普及という点で考えますと、一つはやはり本の出版は少なからず、結果はまだちょっとね、三次元的に出ているかどうか分かりませけども、ああいったお導きでいただいたことを皆さんに知っていただくという面では良かったと思っています。 それから小さなことなんですけど、いろんな方に出会う機会があって、インターネットというものを通じて、いままでお導きいただいた知識をシェアしたりしたというのはありましたけど、あんまりそんなに大きな飛躍といえるものではないと思うのですけど。 

ヨユメ: 真理の普及、普及する手立てとして書物、これは大いなる役がありますよね。 皆様が接触してお話できるということは、あの本の内容がどれだけ真理を言っているか、皆様が言おうとしている愛の実践、真理の普及にどれだけそれを語る内容であったかは別として、あそこに書かれている内容は真理です。 皆様がごまかされないように、色々教えて差し上げたり、こういう方法があると、それを広めたい、それは真理の普及の手立てですよね。 ご本をだしたことも真理の普及の手立てとして三次元的に大きな一歩を踏み出されたわけです。 今後もまた書物という形に頼ってなさることもあるでしょうし、しかし普及というのは多くの方に届かなければなりません。 その方法を、普及の第一歩を、普及の実践活動を去年はされたのです。 それはどういうことかと申しますとね。 ご本によってもです。 しかし、それまでの皆様はトコロがいみじくも言ったように、こちらにお客様が来てくださる、それを何とかして継続させよう、アカデミーを維持するのに汲々としていたわけですよね。 そういう中では真理の普及よりもアカデミーの維持ですよ。 そういうことで真理の普及までいきませんでした。 しかし、アカデミーに皆様が来て下さるということで経済的な基盤もできますし、地域社会への貢献も出来るわけです。 ただ、問題がありましてね、ここでお客様が来て下さる、ありがたいことではございますが、いつも同じようなお客様が何度も何度も来て下さる。 そしてそのお客様のなかでも皆様がお伝えしたい真理に耳をかたむけてくださる人は何人いらっしゃるでしょうか? その方たちに真理の普及、それではだめなのですよ。 そういうことでここはその手段として。 で、これからまた別の新しい方が来られます。 そういう方たちに違った接触を持って真理の普及に努めていかなければなりません。 その様な中で、この間皆様がお越しださったお客様一人一人にお話できないのなら

アナハラセ: 小冊子、

ヨユメ: そう、それをもっと、本来は昨年、あの本に引き続いて出していただかなければいけなかったのですよ。 そういうことですね。 それは普及になるのです。 

それでそういうことと、それからですね、皆さんここに来て下さる方は大方は日本人の方です。 そしてご病気されたり、そういうものに、真理に興味のない方ではございませんが、本当に皆様が交わって真理を、そして真理を広めるというのは口頭で、言葉のみで広めるわけではないのです。 皆様の行いでもって、一番宜しいのは愛の実践でもって広めるのがよろしいのですね。 

それで去年の飛躍はですね、皆様がその国際的に存在するロータリという組織に入られましたね。 それなんですよ。 これは私どもが一つのお手伝いとして差し向けたことでございます。 小さな中で、日本人のお友達の間でちょこちょこと、真理の普及ではないのです。 愛の実践をもって世界中に真理を広めているのです、あの団体は。 世界中の津津浦浦、未開発地域の学校に書物を配っている。 そういう些細なね、行為ですけど、愛の実践ですよね。 そのように、そこに入られて、また今まで皆様が交わらなかった新しい人との交わりが出来ます。 そしてまた違った形でも真理の普及というものを皆様が学ばれます。 ご自身のやっておられるそのやり方を押し付けるのではないのです。 学ぶべきものが周りにあるのですね。 だからこそあれだけ世界的に発展するのです。 真理というものはあれだけ素晴らしい、真理が広がらないはずがない。 しかし愛の実践という行為によって広がるのです。 ご本の出版、そしてああいう組織を通じて、皆様がメンバーになって、今まで皆様が出会わなかった、この近辺の方たちだけでない、そういう方たちと出会いをもってあらたに広めていくのです。 

そして地域社会の貢献という名でもって行われるなかには、貧しい人を助けるだけ、あるいは貧困者層に手を差し伸べるだけ、病気の方を癒すだけではないのです。 若者、幼い、その他の人たちの啓蒙、そういったことも、知識を与えることも、そういうことも貢献ですよね。 そして若い学生達との交わり1719、大人よりも子供、そういう人たちを教育していく事はとても大事な事なのです。 そこに一歩踏み出された。 それには大変意義があると思いますよ。 

そしてそういうことをご本、その他を通じて、利用するのではないのです、シャマナは利用という言葉を使いますがね、私はそれは嫌いなのですよ。 そうではなく、そういうものから学んで、共に活動していく。 むしろ謙虚に教えていただくようなつもりで、皆様が広めたい真理を広めていくのですよ。 かなりの自己犠牲がありますよ。 それを皆さんは−あの団体は−されているのですよ。 そういうことですね。 

それからこの地で真理を広めていこう、この地で皆様と調和してやっていくのに昔、私がお導きで申しましたね「郷にいれば郷に従え」。 こういったことを学ぶのにそういう外、外に出て外郭団体と交わって初めて学ぶのですよ。 外に出て。 そして「なんでこんな不必要な」、「なんでこんなやり方をするのだろう」、「こんな面倒なことをしなくても」、あるいは批判する面はたくさんあるでしょうが、しかしそういうやり方でうまく調和が取れていることもあるのです。 外から来て、我々のやり方はこうだからこうあるべきだ、という批判の目ばかりを向けていたのではやるべきこともうまくやれないのですよ。 そのあたりも学ばなければなりません。 

皆さんはね、もともとは日本という国で生まれ、生活をされておられましたのに、アメリカに渡られれば、郷にいれば郷に従えで、結構その地に馴染んで、その土地での生活習慣を学ばれ、それに従って生活されていたのです。 しかし、この地に来ると、「これがだめだ」、「あれがだめだ」なんですね。 確かにだめなものもあるんですが、そこにはやはり皆様の中にアメリカは先進国で進んでいて、何もかもが立派だと思っている。 こちらは何もかもが程度が悪いのだという先入観が無きにしも非ずですよ。

トコロ: そうですね。 

アナハラセ: しかし2時間も平気で待たされると、それもちょっと...

ヨユメ: それもちょっとなんですが、それは皆様の世界で、私どもの世界から言えばね、それがね、大いに問題があるというような生き方に問題があるのです。

アナハラセ: そうですか。

トコロ: そうですね。

ヨユメ: 真理の観点から言っているのですよ。 それでイライラするかしないかの問題なのですよ。良い悪いの問題ではないのです。 こういう形が良い、こういう形が悪いと言えばきりがないのですよ。 良い悪いではなくて、違いなんです。 しかし、その違いを認めたうえで皆様もそうなりなさいではないのです。 それを理解した上でやっていく。 そして時にはここで調和してやっていくには、その習慣を知って、それに合わせてやらなければいけないということも起きてきます。 それをすることによって、より効果的に真理の普及が出来るということもあるのです。 やり方一つで、馴染まないやり方でいくら広めようとしても行き渡らないのですよ。 それ故に、高次元から色んな先生方が色々な国に、色々な形で真理を普及されている。 かの地ではこのやり方が良かったからこちらでも、そうはいかないのですよ。 故に色々な先生方が色々な形で真理を広めていかれた。 皆様は、この地でそれをなさろうとしているということをまずお忘れにならないでください。

何か他に質問がございますか? それで皆様の質問にはほぼお答え出来ましたかね? 宿題の答えは出ましたね?

アナハラセ:はい。

ヨユメ: そして

トコロ: 先程話しあっていた質問に対してはお聞きくださって、そのお答えというか、アドヴァイスはいただけるのですか?

ヨユメ: はい。 どうぞ、何でした?

トコロ: はい。 先ずはまたたくさんのお客様が来て下さるのですが、

ヨユメ: あ、それでしたね。

トコロ: それとあと初めて報道関係の人から、こちらのことを教えてくださいという方が来られるので、そのときにどう接するべきなのか?

ヨユメ: そうですね。 それも今、私が申し上げたように真理を普及する、普及するためには色々な伝達方法が必要。 そういうためにはそういう方が来てくださるということは好ましいことなのです。 喜んで。 そしてお医者様、来られましたよね。 

トコロ: はい。

ヨユメ: あの方を通じてお友達がまたお友達をという形で、そういう方が増えてまいります。 zura

にこの地に来られたわけではないのです。 皆様のお役目の成就に役立とうとして来られている方ですから。 そしてそういう方が来てくださるということは有難いことで、それをつかって皆様の真理の普及をしないという手立てはないのです。 

トコロ: はい。

ヨユメ: ただ、そのときにね、気を付けなければいけないのは、これは何も報道関係の方だけではなく、皆さまが接する何方にも当てはまることです。 ましてこの道に入って真理を普及しよう、愛を実践しようという者は、今更ながら私が言うまでもなく、謙虚であらねばなりません。 どなたに接するときも謙虚、謙虚、謙虚を肝に銘じてお会いになってください、お話してください。 そしてご自分に「謙虚!」、「謙虚!」と言い続けて、それを言う必要がなくなる時、それが本当にきてほしいのですよ。 そして真理の普及という、ご自身が学んできた真理を教えてあげるのではないのですよ。 教えられる立場なんかではないのです、皆様は。

トコロ: そうですね。

ヨユメ: トコロもシャマナも言っているではないですか。 私が以前、初歩的に言ったことでさえ忘れているではありませんか。 忘れているのに実践できているわけがないでしょ。 そのあなた方が教えてさしあげる。 とんでもないことで、共に学ぶのですよね。 しかし、この共に学ぶという形では人によっては何かしら頼りなげに思われる。 そういう時にね、「このように教えられているのですよ」という言い方ね。 あなた方がお教えしているというと抵抗があっても「私たちはそのように教えられました」、という言い方が宜しいかと思いますね。 そういう形で皆様何かにつけ、謙虚であること、 謙虚であること。 本当に愛を実践していきますとそうなります。 気を付けることは何もありません。 

トコロ: はい。

ヨユメ: そして嘘もなく、正直に「これを言っていただきたい」、「これを見ていただきたい」と思うものははっきり申し上げればよろしい。 そのための準備も出来てきておりますでしょ。 そのときに大事なのは何よりもどんなインタヴューよりも効果的なのは、その方がいらっしゃったときに、皆様が雑誌社のインタヴューしてくださる人としてでなく、お客様として、どのようにその方に対するか、そしてその方だけでなく、他の皆様に皆様がどう対して、どのような態度でやっているかをつぶさにみていただくことが何よりです。 そういう点ではこのたびは皆様にとって大変な学びの、また、意味のある、やりがいのあるお仕事になりますよ。 

それで色々な方が来られますよね。 2810ご病気の方。 それに関してどういうふうな手立てをされておりますか?

トコロ: こちらで知り合いのお医者さまに、何かあったときにきていただけるように予め連絡は取りたいと思っています。

ヨユメ: なるほど。 それはそうですね。 当然、何かがあったとき、そういうことに備えなければ、こちらにお医者さまが常駐している場合でないのですから、それも当然です。 そしてそれ以外には? ここに滞在されるご病気の方というものはどういう状況なのでしょう? 皆様はここでご病気の方を「来てください」、「どうぞここで治療を受けてください」、それは宜しいんですよ。 そしてそこで真心込めて皆様に接して良くなって帰っていただきたい。 その真心のね、込めるという、対処するという中にどういうことが含まれていると思います?

アナハラセ: やっぱり一番気を付けたいのはお食事がね、取れないとか、普通の食事ができないとか、

ヨユメ: そうです、ご病人にとってお食事。 たかが風邪を引いてもお台所に行ってお食事をするのは億劫ではありませんか? そこで愛のある行為というのは、ご病気の方はどうすれば安らぐのだろう。 どうすれば気持ちよくしていただけるのだろう? どういうものが召し上がれるのだろう? 施設はちゃんと整ってお休みになるところもあります。 しかしそれではねぇ。 

「泥縄」という言葉があるんですね。 泥棒を捕まえてから縄をつくる。 それではだめなのです。 これにはね、先ずは、例えば例を申しましょう。 トマーヤンがね、このアカデミーがこういうふうに発展していって、多くの人がきて、こうなって欲しい、という皆様の言葉で言えば展望ですか、ヴィジョンを受け取ると、もうそれが起こったかのように明日来るということで準備するわけです。 そうしますとね、いつも申しているじゃないですか、それを決断して描いたらその現状が起こるのですよ。 それが出来たときにグループの方が来られたのですよ。 それと同じことが起こって行きつつあるのですよ。 

ご病気の方、治療の方法、皆さん来られないと文句を言っておられますが、お薬、注文すればすぐ来るものは別として、ご病人の方がこられたらお食事はどうするのですか? そういうメニューは出来上がっておりますか? どなたとどなたがお台所をして? ここにいてもね、病気治療に来られて、観光、遊びに来られるわけじゃないのです。 ここに癒しにこられて、お弁当をいただいて、夜はレストランに出かけて行ってお酒をいただいて、そういうのを望んでいらっしゃる方はそうしていただきなさい。 しかし、そうでなくてもここで一日ゆっくり過ごせる。 もうこのたびは時間がございませんね。 その準備をすべきなのですよ。 そしてそれから、段々こういうものはいただけない。 今度来られる中でも菜食の方がいらっしゃるでしょう、そういうこともあって。 それはね、これだけの施設でそんなレストラン並みのものはできないとしても、こういう患者さんが来られて、こういうものが召し上がれない方が来られてもこの程度できるな、そして、またここにいて飽きたらこういう簡単なものが食べたいだろうなというような簡単なものでいいのですよ。 皆様が旅行したらなにが食べたくなりますか? 病気のときは何が召し上がりたいですか? シャマナなどは旅行をしたら、旅行がいやな理由は食べ物がつらいのですよ。 健康なときでも文句を言いながら、そしてじゃ彼女はここに訪ねてこられるお客様が、五日間お弁当と外に出てお食事するのでいいと思っているわけですね。 自分がその立場だったらシャマナは泣きべそをかきますよ。 

トコロ: 良いと思っていないと思います。 これではいけないと思っています。

ヨユメ: では何故なんとかしましょうと彼女は言わなかったのですか、お食事に関して? 私は何度も、私というか、先生方がメッセージを差し上げて何とかしなさいと言っているのですよ。

トコロ: 何とかしなければいけないとは言っていました。

ヨユメ: 言ってましたか?

トコロ: はい、言っていました。

ヨユメ: 言っていましたか。 でもそのしようという気持ちはないのですよね。

トコロ: 気持ちはあるのですが、中々、今の、このいるスタッフだけでは中々そこまで行かないという、人が足らないという観点から

ヨユメ: 勿論、皆様それぞれがやるということには無理がありますよ。 でもここでそういうお食事が出来るという方法を考えなければいけない。

トコロ: はい。

アナハラセ: できるという前提で

ヨユメ: そうです、でなければね。 だからご本が出ても、皆さんそんなご病気の方がどんどん来られて対処できないのに、これでよかったのですよ。 そういう方が押しかけていたら大変ですよ。 先ずはお食事の完備ですね。 ここにお客様がいらっしゃる間だけは一々外に出なくとも、そしてご馳走でなくてもいいのです。 魂の休まる優しい食べ物ですね。 それが愛の実践なのです。 ここでどのようなメニュー、どのいうものを、皆様それぞれ好みがありますから、それこそ最初は何も病人食、癌の患者食でなくていいのです。 一般の元気な方が耐えられないお食事でも困りますから。 そういうふうな皆様で食べていただけるような簡単なもの、あるいは今日は何もいただけないからお粥とさっぱりしたものだけが注文できる。 生野菜とスープだけという、パンだけというような方もいらっしゃるでしょう。 そんなに手間ひまかけずに、皆様に喜んでいただけるというものは無理ではないと思うのですよ。 ここはトコロの出番でしょ。 

トコロ: はい。

ヨユメ: 皆で考えてください。

トコロ: はい。

ヨユメ: その準備がね、出来ていないという事。 そしてそういうことをすることも愛の実践なのですよ。 厳しいんですよ、しかしそれが出来てこそなのですよ。 それから治療です。

本当にね、皆様はよくやっておられると思うのですよ。 こう言ったから「出来ていない」、「出来ていない」と、私が何と申しますか、いかにもなじっているように聞こえるかもしれませんが、皆様に−飛躍を遂げられた皆様に−次の飛躍があるわけです。 そこに行っていただくために気付いて欲しい。やっていただきたい段階に到達していらっしゃらないと、なんと言いますか、歯がゆくなると申しますか、そういう気持ちで言っているのですよ。


何か質問など、「いえ、それは無理な話でしょう」と仰れば、しかし、こちらでは皆様に出来ない、無理なことなどは望んでおりません。 階段は一段ずつ昇っていかれる、その一段ずつの話をしているのです。 

それでね、例えばなんですが、これはシャマナにしてもトコロにしてもアナハラセにしてもね、心の、心の中でその愛の実践というものを頭では分かっておられる。 しかし愛というものは頭にはないのです。 ここ(胸の辺りを示される)にあるのです。 ここですね。 そうなりますと昔、これはシャマナが思い出してトコロに言ったと思いますが、愛の実践に人助けをする、こういうことをしなければということで、いや、私はもっと偉大な立派な人助けをしたいからと言って救命胴衣を持って海辺で立っている、そんな人は一切訪れなかった、一生涯何もしなかった。 そうなると今日ある一つ一つの些細なことを積み重ねてやっていくことなのですね。 

そしてその愛の実践というのは貧困者に食べ物を届け、学校に本を届け、そして病で苦しむ人の苦しみをやわげるだけではないのですね。 世に役立つことをしようとしている人を援助することも然り、それをトマーヤンは一生懸命やって、皆様にみせたのです。 そしてシャマナが抵抗をしたときにも「これはやれ」と言って、「この地でそういう正義と戦ってやろうとした人に手を差し伸べてくれ」と、けんかをしながらですがシャマナを説得していったのですよね。 それでシャマナも考えて、「分かった。」ということで、お泊めしようということになりましたが、来られなかったのですよね、ここに。

トコロ: はい。

ヨユメ: それはそれとして、何のために、立派な施設はあっても使われなければ意味がないのです。 銀行に貯金してあるお金と同じなのですよ。4052銀行に置いてあるお金はね、役に立たないけれど、段々さびれて修理だけが、そういうお金がこちらでは使えば使うほど、そういう余計な出費はなくなっていくのですよ。 人のエネルギー、人を助けるエネルギーが建物にもいきます。全てに魂があるのですから愛は通じるのです。 そのように愛の実践に活用しなければいけない。 そういうときにはすすんで。 何のためにこれはあるんですか? お金は生かして使わなければいけないと、分かっておられてもこれだけある施設を良いことに開放して使っていこうという積極性がまだない。


そしてね、もう一つ、これまた大変なことなのですが、この地において学ばなければいけないことは「郷にいれば郷に従え」。 皆様がこの地でどこかお宅を訪ねられますね。 どんなときにも貧しい国でありながら、良いことか悪いことは別問題ですよ、必要か必要でないかは別問題ですが、飲み物、お食事、お菓子をすすめられる。 時にはもう用意をして待っていらっしゃるではないですか。 それは皆様が来てくれたことを喜んでいますよ、という愛の実践なのですよ。 というのは犠牲を強いてる、犠牲を伴って、それでも尚且つ相手にするという。 時にはありがた迷惑なこともございますよね。 でも多くの方がそれをされるではないですか。 だからこの地では人様が来られるとき、この地で受け入れて、「あ、あの方たちはこんなにしてくれる」、「自分達を本当に大切に思っていてくれている」という一つの表し方でもあるのです、学ぶべきことなのです。 これを「あ、お人が見える、これをしなければいけないのかな」、「これも買って置いて供さなければいけないのかな」、「あ、大変だ」と思うのは、それは義務ですね。 義務でしているとそうなります。 しかしそれを越えなければ本当の愛の実践ができないのですよ。 

皆様の本来の目的は真理の普及、その究極は愛の実践なのですよ。 ご大霊が、皆様の守護霊様が「あー、よくやっていてくれている、有難いな」、「有難う」と、皆様の背後からお礼を言われるような、そういうような行いを日々積んでいけば、それは真理の実践、愛の実践なのですよ。 難しいことは考えなくてよろしいの。 お分かりいただけますか? それを頭に入れて新たにまた大きな飛躍がくるのです。 

信じてください、皆様が一生懸命やってくださったから、今、ここに皆様はいらっしゃるわけです。 5年前を見てください。 ここまで来れたじゃないですか。 決断したとき、そして先生方はついて下さっている。 その先生方が手を差し伸べる、お手伝いできない、「あ、これは出来ない」、「これは出来ない」、「これをすると大変だから」、「これは出来るのだろうか、否か」、そういうふうにしますと、せっかくの援助がね、阻まれるのです。 よろしいですか。

何か質問はありますか?

大丈夫ですか?(録音は以上)