高次元の先生方からのメッセージ   2006年01月03日 

シャマナ: 今朝の瞑想でいただいた、お導きの一番最初は、昨日の瞑想で足りなかった分の付け加えという形で来られたと思います。 昨日はあれは何のお話でしたっけ?
アナハラセ: 昨日のお話は...
シャマナ: どのようにしたら、高次元のお導きが受けられるかということで早道があると。 そのときに「無条件で信じられますか」というお話をしましたでしょ。 それと関連したことなのですけど、無条件に信じて、そして、もういつでも欲しいときにメッセージが受けられる状況になるということが、悟りの境地に入るということらしいのです。
アナハラセ: それが早道だと。
シャマナ: はい。 そしたらそれでは、悟りとは何でしょうかというお話がありましてね、ご大霊の真理を自分のなかにいただくいれものを用意したという状況が、悟りの境地に入るということでした。 そして悟りというのは、悟りの説明の時にいただいたのですが、真理のお導きを理解したことと、そして自覚したことの違いを、まず知ってくださいと。 理解したということは、心と頭の一部でそうだとわかること。 自覚というのは自分がもう覚えてしまうこと。 すなわち心と魂でわかるということ。 そして自覚したことを信じて、念じて悟りに到達しますと... 
アナハラセ: 実践するというのは
シャマナ: そこは入っていないです。 これは私はお答えできないので、次に聞いてくださいね。
そしてご大霊の意思、宇宙の真理と直結できるということが、悟りに達することなのですが、そのどれが本物か、偽物か区別がつかないのは、どうしてかというと、納得−条件をつけて−していく。 それというのは、科学的証明法に似たやり方なのです。 疑いを一つずつ晴らして納得していく、納得法。 そうすると疑いはそのエネルギーであり、闇のエネルギーである。 科学の場合はそれでいいけれど、真理を学ぶ時にはそれは正しくない。 
例えば、「私達も」と仰ったので、たぶんヨユメさんだと思うけど、私達がはるか上の高次元の先生方と仰いで、お導きを受けているゴーダマシッダールタ様は、「信ぜられば救うあたわず。 縁無き衆生は読み難し」。 言い換えれば、信じない者は救いようが無い、そして縁の無い−そういう教えに縁の無い−人々というのは得度、この度というのは仏門の得度の度という意味で、仏門の戒めさえも難しいと仰った。 だから全ては信じることにある。 ナザレのイマニュエル様は、「まずは我を信ぜよ」と申されました。 そしてモハメッド様は、「疑って迷って真理から遠ざかる者よりも、信じて欺かれる者のほうが幸せだ」と。 そして、これは本当に欺かれるということを仰ったのではなく、そういうことはあり得ない。 正しい真理を信じて欺かれるということはない、ということです。 本当に信じていて、信念−その正しい意味での信念、私達の次元で言う信念ではなく−嘘と本物(の区別)は、本当に信じ始めるるとぱっとわかる。 

そして条件付きの疑いの弊害の大きさについて、ここでちょっと途切れていますけど。 安心できない、潜在意識に不安定な不安、ひいては恐怖のもとになる疑いというのは、その不安、不安定、安心できないから疑う。 そうしますと、潜在意識の中に不安定な不安になって残る。 それが恐怖のもとになっております。 そして、例えば弊害の一つとして上げましょう。 リザール先生の要望、日本庭園のこと、日本庭園のことというのは、修理してくれというお話のことだったのですか、途切れちゃって。 それに対して「考えておきましょう」というお返事がありました。
アナハラセ: そうですね。
シャマナ: それに関しまして、天上界に召しまして、皆様の背後で多大なお力を下さる方のお導きに対して、「考えておこう」、誰の何で考えるのですか?
アナハラセ: なるほど。
シャマナ: あなたの心、頭脳で考えて適切なことか否か、やるべきか、いつやるべきか考えるという、この傲慢な答に霊団から突き放されました。 「はい、出来るだけ早くそうさせていただきます」のお返事ではなかったのですか? 大変な知恵者ではあるが、素直に信じ、念じることができない... ごめんなさい思い出しませんこのあたりは。 私自身が書いたところ、理解できなくて仕方が無いので抜かしますが。

その後は、真理の導きに素直にできないということで、この間、無条件に無批判に、それからもう一つ、何でしたっけ? 無邪気にということがありましたが、それに付け足して、単純に。 
その単純は、ひとえに純粋にという意味で、今使われている単純だから馬鹿だという意味ではなくて、単純にということも必要なのですと。 

そして私達の社会では納得がいくように、高次元の真理のお導きの場合は、単純で無条件でよろしいのですけど、それ以外の時は違うのですね。 だけれど、そのお導きに関しては、もう納得のいくまで、自分に納得がいくように、というのは忘れなければいけない。 どうしてかというと、納得というのは得する、自分の自我の得する方向に収めたいから納得したい。 例えば、ここでRBが出てくるのね、RB−多分Raymundだと思う−何かにシャマナをmentorと言わせたと。 そして単純に、無条件に何でも信じてついてくる、でも選別はできている。
パケサー: 選別って?
シャマナ: selection、何をどう信じて。 単純に信じているから...ちょっと途切れているから説明できないのですけど、そういう彼のことがでてきました。 だからそれを言ったときは多分向こうからのあれを感じて。 

“A”これはアナハラセだと思いますが、いみじくも言った、教えるのが下手だと。憶えています、昨日もありました。 “S”、これはシャマナ。 Sはそれに対してAの−アナハラセの−頭脳、知識が高すぎるから、そのレベルで考えて、自分より低いレベルにもっていけないからだと。 
アナハラセ: そうでしたっけ?
シャマナ: 私は、とにかくレベルが違いすぎると、相手はそこまでのレベルじゃないから、それはどうしても難しいのだと言った。 しかし本当の答はもっていたはず。 変な気遣いをして、言えなかった。 
アナハラセ: そうなんですか。
シャマナ: このあたりが、まだ俗物。 シャマナの力が偉大なものになる足かせになっている。 人のために真理を教えるのに何、躊躇するありや。 「真の勇気をもて」と言っているのですが、ただただ調和を壊すのを恐れているのです。 これも恐怖のひとつです。 ただ無条件に信じればいいのです。 

戻って、教えることの下手、その答はなんでしょう。 
アナハラセ: わかっていない?
シャマナ: 愛の欠如です。
アナハラセ: へぇ。
シャマナ: その人に自分のもっているもの−物質よりも大切な体得した知恵、知識−を与える、教えてあげようという情熱の欠如です。 シャマナが人に教えよう、これは違うと叱るときの情熱をみなさい。 真理の導きを広めることは厳しいのです。 それを、単に厳しさだけをみてはいけません。 その情熱が愛から出ていることをみなければ。 RBに聞いてみなさい、彼女の教え方は如何なるものか。 無条件に、単純に信じているから知っているのです。 

シャマナの力が強くなればなるほどに彼女の周りにいるのがつらいとか、果ては目を合わせられない人が出てきます。 彼女のまとう、見えない光が強すぎて、見ることが出来ず、または怖くなったりします。 なんとなく彼女を苦手に思う人たちを数えあげてみなさい。 

Aに近寄って...でわからない。 アナハラセの波動とか、背後の光は、彼らの...よくわからない、快適なのです。 これに対しては単純に無条件に喜んでは困るのですよ、と書いてある。 

その点パファは、心の奥底でもうシャマナがそう言ったのだからそれでというところがあります。 単純に、無条件に真理のお導きを受けている、受け入れている、信じている。 それは良いことなのですが、ただ彼の場合は、守護霊様との直結による直感からそう感じているのではなく、根っからの横着さがだいぶ助けになっているのです。 
どういうことですか? パファがいみじくもシャマナによく言う、ここは英語でかかれていまして“Whatever you say, I will support you. Just tell me when you need my help.”  ある意味で、真理の導きを無条件に、単純に信じることは、大変楽なことなのです。 お任せすることでしょう。 すなわち心が楽になる。 不安、心配がなくなる。 疑いはない、恐怖もなくなる。 すなわち魔が入ってこられない状況を作るではないですか。 と書いて、その後もあったのですが、書けなかった。 

アナハラセ:  ここで良子先生の質問が
シャマナ: 質問があったのです。 もう意識が無くて。 
(録音はここまで)