Yoyumeからのメッセージ 2005年03月10日
ヨユメ: 皆様(みなさま)、ごきげんよう。
皆さん: ごきげんよう。
ヨユメ: 何かご質問はございますか?
皆さん: (沈黙)
ヨユメ: ございませんか。
それではお導きに入りたいと思いますが、これからはお導きの形が少し変わって参ります。 具体的にこれから皆様がご精進されておられることに対して、あるいは計画されておられることに対してお導きをして参りたいと思います。 そしてその速度も今までと違って、速めてやっていかねば間に合わなくなりますので宜しゅうございますか?
皆さん: はい。
ヨユメ: 色々、夫々にお勉強をされ、ご本なども読まれておりますね。 たくさんの大天使、天使が書物などを出しております。 それをどんどんお読みになり、気付きを与えられ、そして情報としてお持ちになることは大変結構でございます。 何時も申しますように気付くこと、気付きを与えられることが大切でありまして、そして同じく皆様方も人様に気付きを与えることですね。 その大切さはもう十分にお分かりいただけると思います。
それで今日は申し上げたいのはそうして気付きを与えられ、感動された時、そこに書かれたこと、或いはその方が仰ったこと、それ全てをそのまま受け入れなければいけないというものではないのですよ。 それはある意味で危険なことでございます。
どうしてかと申しますと、これを例えにいたしましょう。 最近シャマナが読んだという本ですね。 あれはトコロに勧められて読んだ本でございましたかね。 その方のご本は素晴らしく、皆様感動されたとのことでございます。 そしてその方のやり方は決して自分の意見を人に押し付けない、無理強いしない、これが正しいのだよとそういう言い方はなさらない。 そうでしたね?
トコロ: はい。
ヨユメ: そういうところにシャマナもトコロも感動したのではないですか?
トコロ: はい。
ヨユメ: そこなのです。 それはね、それでとっても宜しいのですが、私が敢えて今日それをお導きに選びましたのはね、そういうふうに人に押し付けてはいけない、自分の意見はこうだと言ってはいけない。 だからそういうことはいけない事なのだと思うことは、また、やっぱりそれも一つの拘りなのですよ。
それではいったい何がいいのかということになると思いますが、例えば皆様、お子達を育てられていると考えてみて下さい。 その時にやってはいけない事、「これはいけませんよ!」と親として、「私はこうは思わない」、「こうすることはこういうふうに迷惑をかけるからやってはいけません!」と考えを押し付けなければいけない時もございますね。 お子達だけじゃないのですよ。 成長された大人の方でも色々なタイプの方がございましてね。 もう社会でそれだけのことをなさってきた、ご自身のやり方というものを確立されたような方に向かって、「こうですよ!」と言えば反感を持たれてそれは逆効果になるから、ご自身に気付きだけは与えて、ご自身で答えを引き出していただく。 それはそのほうが効果があると思えるのですよ。
しかしね、皆様にある人は「これは正しいのよ!」、「こうしなさい!」、「こうしなければいけないのよ!」と、こういう言い方をされる、そういう方のことをどう思われますか?
パファ: 人にも拠りますが、例えば本当に自分に近い人でよく知っている人で、例えばシャマナが僕に言ってくれればありがたいと思いますよね。
ヨユメ: それでは一般的にそういう傾向の強い人、何方に向かっても「これはこうなのよ!」、「こうしなさい!」、「ああしなさい!」、「これが正しいのよ!」、「貴方は間違っている!」、そういう言い方をする人がいますよね。 そういう方を見ると皆様は?
パファ: 私は余り好きではありません。
ヨユメ: 我が強いとか、自我を通す人だとか、そう思われますよね。
パファ: はい。
ヨユメ: それは皆さんお分かりです。 それも余り感心できたことではございませんが、それでは世の中には何でもかんでも決して自分で判断できない、したがらないと言うのか、決められない、何でも人に聞く人がいます。 ご自分で答えを持っていらしても、なぜか確かめて人に聞きたい、「これはこれでいいのかしら?」、「どっちがいいのかしら?」、「これがいいのかしら?」、「あれがいいのかしら?」と何時も迷ってご自分で答えが探せない、決められないかたがいらっしゃる。 そういう方をご存知でしょう? そういう方はどうしてそれが出来ないと思いますか?
パファ: 多分、自分に自信がないからでしょうね。
ヨユメ: と皆様は思われるでしょう。 そこなんですよ。
先程の自分がこうだと思ったことを押し付ける、その方のそれを我と呼べば、自分で決められない、何でも人に相談して、人の意見を仰いで何かを決めていこうという人はね、ある意味でもっと我の強い人なのです。
我が強いと言いますと自分の思いを押し通すというふうに考えていらっしゃいますけど、自分を守ること、自分が一番大切である、これも我が強いことなのですよ。 我、我が一番先に。 お分かりですね。
どうしてそうかと申しますとね、ご自身で決められないというのはご自信で決めて何かをしますと責任はご自分で取らなければいけませんね。 失敗したときも心配ですね。 何かを決めてやろうといえば必ずそのあたり、もしうまくいかなかったら、失敗したら、そういう不安が付きまとうわけです。 本当に自分を何時も大切に思って、いつも間違うことなく自分を守っていられる方法というのは、決して失敗することなく、自分が咎められることもなく、自分を責めることもない方法を取りたい。 そういう気持ちが奥にあるわけですよ。 そうしますとね、何も自分で決められなくなってくるのです。 そして人様の意見を仰いで決めたらね、うまくいかなかったら、「嗚呼、あの人の言うことを聞いたからだ!」、「嗚呼、あの人のこういうようにしたからこうなったのだ!」と自分を責めなくてよろしいのですよ。
全てがそうだとは言っていませんよ。 中には本当に自信がなくて、決められるけどこれだけは大事だから他の方の意見も聞きたいと相談する時もありますが、なんでもないこと、どうでもいいこと、何時も人の意見を伺う、そういう人は何か可愛気があって、頼られて助けてあげたい気になりますでしょ。 片やご自分の意見を押し付けてくる方は何かとっても強く、我の強い人で反感を持ちますね。 その様に皆様、一面から見ると危険だということをお話したいのです。
そういうふうに気付きを与えて、ご自分で決めることをなさらなければいけない、そういう方をお導きするときと、その様にご自分の持っているもの「これが絶対正しい!」と人に強く迫る方と同じお導きではいけないのですよ。
中道を行くというのはね右でもない、左でもない。 だから、人様にこうですよ、こうなのですよというやり方でいつもいくというのはそれを右と呼べば、こうですよと気付きだけを与えて後はすべてお任せする、これが左。 このどちらも完璧ではないのです。 人夫々ですのでね。 その何れも時と場合、その方、それを見て皆様使い分けなければいけない。 このやり方が素晴らしいからこれと決めればね、危険なことがございます。 それを申し上げたかったのです。
今、お話したことで質問はございますか?
トコロ: その方をその時、場、その方を見て使い分けると言うことですが、それをとっても難しいことのように思います。
ヨユメ: いえ、難しくないのですよ、トコロ。 貴方はもうそれをされているでしょう。
トコロ: そうでしょうか?
ヨユメ: 時には気付かずに強く言ったりしませんか?
トコロ: はい、あります。
ヨユメ: そしてあるときは「あっ!これは言っちゃいけない!」、「私の意見はこうだけど敢えて言わずに」とご自身を制して言わないときもございませんか?
トコロ: はい、あります。
ヨユメ: それは使い分けていらっしゃるのです。 その状況とその人をみて。
トコロ: その使い分けているのは果たしてそれでいいのかどうかが何時も分からなくなります。
ヨユメ: そこなのですよ。ですから今、これを敢えてね、もう皆様これからどんどんそういう事をなさっていかなければなりませんので、今までと違ったお導きで私が最終的にすべて答えを出すわけではありませんが、そうしていかなければもう間に合わないのでね。
それで申し上げたいのは愛の物差しは一つです。 その時「この方にだって、こう言って差し上げるのが宜しい」、その方の立場にたってそれを選ばれたらそれはそれで宜しいのです。 そしてこの方の場合は「いえ、ご自分で考えていただいたほうが私が簡単に答えを出して、そう差し上げるのがためにならない」と。 お分かりですね。
トコロ: はい。
ヨユメ: 全て自分の意見を押し付けてはいけない、その方に気付きを与えて。 先ず、最初にすべてそういう方法でやるのは宜しいが、時には強く、先程申しましたようにお子達の教育などは、親として、その様に最初からこれはいけないということで始めなければならないこともございますよね。 大人とて同じでございます。 その辺を正しく理解していただきたかったのです。
皆様の世界と真理の世界の判断と言いますか、基準が随分違いますからね、難しいのです。 皆様は法律だとか、これは人の道に外れているとか、そういう中で育ってこられましたからね。
例えば子供が危険に晒された時、子供に危害を加えようとしている人に立ち向かって、間違って殺してしまったとしたら罪に問われ、それこそ監獄に入れられますよね、皆さんの社会では。 でも動物の世界では自分の子供が危険に陥ったとき、敵に立ち向かって殺さない親はないのです。 これは自然の摂理です。 ご大霊はそのように創られている。 皆様、人間の住む社会ではそうではないですよね。 そのように確かに皆様の社会で住んでこられ、人間同士が仲良くしていくにはそれなりの共通の決め事、約束事を作って生きていかなくてはならない。 それを守るということも大切ですが、それに縛られて本来の真理の道から外れた基準も随分ありますのでね。 そのあたりが難しいところですが、そういったものも今後学んでいかなければならないのです。 その様に子供を危険な、それこそ殺されようとしているときに守って相手を殺したら罪に問われるけれど、戦地で顔も知らない罪もない人を殺したら章がもらえる、そういう社会ですからね、皆様の住んでおられるところは。 そういう中で正しく真理の物差しを使って何時も何時も正しい判断をしていくというのはそれは至難の技なのですよ。 それを求めているわけではございませんが、とにかくとらわれない、あっ、これはいいんだ、いいものでもそれだけではいけないということ。 どちらかに偏ってはいけないということ。
それでは一体何を元に何を正しいとしていったらいいのか、お分かりにならないと言われますでしょう。 真理、正しい、間違っている、そういうものはございません。
皆様はお水のようになられればよろしいのです。 その状況、状況にに合わせてね、形を変えられれば宜しいのです。 固い固体物ではなく、水のような心でおられれば器、器にあわせて隅々まで行き渡ることが出来る。 その様なご自身の持った判断力をその様な形で使える練習をしていただきたいのです。
いいもの、これはいいと思ってもそれにとらわれてはいけません。 お分かりいただけましたか?
皆さん: はい。
ヨユメ: 他に何かご質問はございますか?
トコロ: 先程、また違った形でのお導きを更に速度を上げてやらなければいけないとヨユメさんが仰いましたが、と言うことはもっと頻繁にヨユメさんをお呼びして、お導きを受けたほうが宜しいんですね。
ヨユメ: 何か皆様でお集まりになってご相談されることがある、そういうおりにはご相談してくだされば宜しいかと思いますし、そういう機会を利用してお呼びくだされば、こちらの方からも差し上げたいメッセージもあれば、お導きしたいこともございます。 宜しいでしょか?
トコロ: はい。有難うございます。
ヨユメ: それでは他にご質問がなければ、今日はこれで宜しゅうございますか?
皆さん: はい。
ヨユメ: それでは皆様、ごきげんよう。
皆さん: ごきげんよう。