Yoyumeからのメッセージ 2002年5月3日
もし皆さんの寿命が後一年だとしたら何をしたいか考えましたか? 答えが無いようだが…
Emi:いつも考えている。
Y: 一年だとしたら何をしたいか?
Emi:貢献、恩返しです。
Y: 日日今それに使っているか、日日そのように過ごしているのか?
Emi:それに、その目的が果たせるよう毎日時間、心、頭を使っている。
Y: したい事、目標ができそれに向かって精進しているということですね?
Emi: そうです。
Y: 今の答えはとても良い答えのようなのだが、例えば貴方が具体的に何をしてという答えではない。
いつもお導きで奉仕、社会への貢献、人に役立つ事と言ってきているのでそれらは皆さんの目指すべき事、それはそのとうりで間違いではない。貢献するといっても色々な貢献の仕方がある。奉仕にも色々ある。
だからある一定の期間、一年間というのを皆さんに言った。そうしないと具体的に余命一年間をどのように過ごしたいかと考えないと、中々皆さん何をしようという事を考えない。
この中の皆さんにそれぞれに使命があると言っても、そのようなもの約束してきた憶えが無いのにあるのかなと思う人が多い。最近何となくそういうものがあるのかな、だけども何なのかなと考えてみたりする。もうそういう時期は通り越していなくてはならない。かなり具体的に皆さんの使命を話したのにもかかわらず、中々自分の使命が何であったかそれを探り出す術も無い。もう感じ始めて無くてはならない。
こういう形で話すと解ってもらえるだろうか。
皆さんが今生ここに天上してくる前には、皆さん自身、そして魂の仲間、前世での守護霊、背後で指導霊だった人、高次元の先生も加わり、いよいよこちらに天上して新たな学びをする時が来、それではどのような使命を持って降りてくるか、言い換えればどのような生き方をする為におりてくるかを相談する。そのうえでそれぞれの使命を選び、それをさせていただきたいと約束して望んでおりてきた。
一人一人その約束した使命は違う。使命使命といってもピンとこないので、それぞれの使命を図にした、例えば設計図、blueprintを持たされて降りてきていると思えばいい。しかしそれを見ながらやったのではそこにある事しかやらない。
その設計図は皆さんの心の奥の魂が大事に抱え持っている。そしてその設計図どおりに生きることがご大霊の意図された貴方の生き方なのです。その設計図どおりのものが完成した時皆さんは使命を成就した事になる。
設計図と言ったので建築物に例えると、ある人は立派なお城のようなそれも石造りの建造物の設計図を持って降りてきた。ある人は沢山の飾りのある木造の設計図を持って降りてきた。ある人は丸太小屋の小さな設計図をもって降りてきた。皆さんの眼から見ると何だあれしかしていないとか、又はあんな立派な成果を成し遂げ成功してと比較するのは何の意味も無い。よおく解っていただきたい。問題は自分の設計図にあったものを完成するのが使命成就であり、人と較べるのは何の意味も無い。
以前奉仕の話の時にこれこれをやっているが、皆さんの場合それだけではだめだと言った。そのような奉仕では皆さんの設計図どうりにはとてもいかないと言った。その奉仕の行為自体をだめだと言ったのではない。ある人は木を切り倒し、それを縄で縛り付けて丸太小屋を建てるという簡単な設計図を持って降りてきた。それが出来ればその人は使命成就し実存界に戻る。ここに集まっている皆さんはそのような言い換えれば簡単で苦労の無い生き方を選んで、皆さんの設計図にあるものが完成するわけではない。皆さんには設計図を見せられない。もし見せるとそれはカンニングであり、ご大霊から叱られてしまう。しかし時間の都合もあり早く皆さん自身の設計図からはずれないよう使命成就をしていただきたいと、私の導きを参考書と思って随分ヒントを与えてきたつもりです。木造建築を作る人が隣りの人が立派なコンクリートのビルディングを建てているからといってコンクリートや石を集めると困る。そういうとき守護霊が間違いを指摘しなくてはならない。以前軌道修正という言葉を使ったと思うが、それはだめだよと教え気付きを与える。そういったことが皆さんの世界では不幸な事として取られる事が多いようだ。自分の設計図を知らないから一生懸命石を運んで作るがそれはその人の設計図にはない。そうすると苦労して作ったものを壊す事になる。考えてきたもの、築いたものをこわされたりして三次元的にひどい目にあうという表現をする。それは違う、軌道から外れたとき軌道修正を行うにはこちらから大きな力を使って行う。幸せが続くと学んだり気付いたりするのが難しいので皆さんの世界では不幸に見える形の軌道修正を行う。そうすると皆さんはばちがあたったと言う表現をよく使う。それはそうではなく愛である。知らん振りして一生かかって間違ったものを作らせ、そして使命を成就せず実存界に帰ってくるのを見るに忍びなく指導霊 守護霊が手を差し伸べ救おうとしている事が多い。全てが軌道修正とはいえない。今までの経験で思い当たるふしがあると思う。トコロには小さいのがあった。シャマナには随分大きいのがあった。色々な形で現れる。怪我、事故、病気が続き大きな災難が来る。その時それをどのように受けとめて自分の生き様を修正していくかで変わってくる。それをするためには瞑想をしないと正しくメッセージが伝わらない。
ありとあらゆる形で瞑想の大切さを説いてきた。皆さんのため、皆さんの使命成就のため守護霊が頑張っているのを見てきている。皆さんに伝わらないもどかしさ、守護霊が悩んで相談に来る。解ってもらえますか?
A: そのメッセージ、例えば軌道修正は本人が気付かなければならないのですか?
Y: 本人が気付かなければ、修正出来るのは本人だけです。
アナハラセが言いたいのはそれに気付いた周りの人が援助の手を差し伸べることが出来るのかということですね?
A: はい。どの程度とかどこまでとか。
Y: 大変難しい。もし自分がその立場に遭遇したらそれはその人の設計図にあると事と思っていい。人を助ける中で一番尊いのは人の使命成就に貢献する事。三次元的に言うとおせっかいだとかそういうことと言われる。皆さんの世界での罪、親切、おせっかいは本当の罪、親切、おせっかいとは違うと前にも言った。
この中の皆さんの殆どの人が過去世で人を殺してきた。沢山の人を救ってもきている。殿様、姫様の生活、乞食、娼婦も経験してきた。ありとあらゆる事を経験してきた。
今生の学び、皆さんの設計図のなかでこれだけはやらなくてはならないのがある。それは一番最初に言ったように49名の天使として降りてきたひとは霊的真理の普及をまず第一にしなくてはならない。それが全てではないがそれを約束して皆さん同時に降りてきた。皆さんはそれに目覚め動き始めている。時間はどんどんたっている。が、諦めてはいけない。こうして集まったその場で祈るだけでも大変な念波、エネルギーが大きなものを動かしてくれる。ただ皆さん日日色々な事が起りそして忙しい毎日を過ごしている。いろいろな人間関係で悩み、経済的なことも心配、色々な苦労もあると思うが、自分が設計図から外れた為に軌道修正を受けているのか、それともただ自分が侵した間違いによって起った明らかな結果なのか、その違いを見極めなければならない。全てを軌道修正と思ったら困る。日常自分でやった事の責任、自分が作った原因で起った事だと明らかなものは認めなければいけない。全部教えてもらえるものと思ってはいけない。
Y:アナハラセにも軌道修正がありましたが、気が付いていましたか?
A: はい。ありました。
これを目安にしなさいとは言えない。一人一人の設計図が違うから。ただ皆さんの眼から見て困難な事、厄介な事、災いが起るのはいつもの事。それをすぐこれは何か、軌道修正ではないかとびくびくすることはない。正しく瞑想すればわかる。風邪もひく、病気もする、ただ肉体上のものならそれは軌道修正と考えるには及ばない。皆さんの魂が萎える、気が抜けていくようなということはご大霊の光が遮断される訳でそういう状態の時は気をつけるように。
何時も何時も朗らかでいるというのは不可能な事かもしれない。明るく親切に微笑を持って人に接しているとその人には輝くようなオーラが出てくる。暖かい優しいオーラが出てくる。そうしていると自ずから取り上げる工具の一つ、選ぶ材料の一つが設計図に合ったものを取り上げる事が出来る。だから愛と奉仕、人のために尽くす。それをしている限りは設計図をもった魂が皆さんを正しく導く。私の設計図はどんな、材料は何をと心配する事はない。皆さんが完成しなくてはならないものに必要なものは与えられている。それを正しく選別できず、持っているものの中でもどれをどのように使うか解らないのは自我のため。人の為に尽くして世の為に時間を割いていくと自ずと設計図に従ったお仕事をするようになる。
私は皆さんが世の為、人の為に尽くせば自分の事を考えなくても皆さんは守られていると言った。ある意味でそうすると本当の幸せが来る。こういう言い方をすると皆さんの中には幸せになりたいからするとなる。それは良くない。それでもそのとうりです。周りの人からどう見えるかはいざ知らず、皆さん真理に目覚める前の生活と較べて健康状態、経済状態といろんな事で今の自分はより不幸と思いますか?それとも大変厳しい気付きを与えられたと思うが心の中に充実した幸せなものを感じないですか?設計図から外れないように。今何をすべきか本当に真剣に考えてください。
A: その設計図は今回の人生のですね
Y: 今生でのもの、実存界に戻るまでに完成するもの、ただこれは例えです。
C: 実存界に戻っても勉強をすると思うが今生の勉強とは違うのか?
Y: そういう言葉を使いたくは無いが4次元、3次元を離れて、肉体を離れて戻った時に属する世界によって違ってくる。地上生活とあまり変わらない学びを繰り返している人も沢山いる。少なくとも皆さんはそうあっては困る。皆さんの場合例えば5次元から来た、そういう場合守護霊として、例えばつい最近あったことだが、ツツカトータが今学校に行き早くも守護霊としての学びを受けている。地上世界を離れて余り時間がたっていないので次に地上世界に下りていきそして学ぶ魂の守護霊としてのお役目が回ってくるのでしょうか。この3次元世界で皆さんの設計図が違うように、この地上生活での生き様、環境が違うようにこちらも色々な学びがある。高次元に行けば行くほど厳しい。答えになりましたか?
C: ではHappy Happyではないのですか?
Y: そういうことではない。天国にいってHappy Happyではない。
ヨユメは学びとして導きに降りてきている。皆さんの学びに全然進歩が無い時ヨユメには大変な試練がこちらである。皆さんがなさっている苦労とは無縁です。1100年前私はトコロとトマーの母親でした。ここへの導きを私が望んでお願いしたわけではない。それ以外のときにも皆さんと縁をもって天上してきたことがある。自分にとって地上生活で一番懐かしいのは1100年前のあの時です。永い永い間天上してきていないので導きに降りてくるにも自信が無く躊躇ったがどうしてもやらなくてならない。それが私のこちらでの学びです。皆さんを一人でも多く光の、高い波動の世界に帰って頂くよう指導を行うのがこちらでの学びです。実存界でもそのように使命があります。